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退官記念パーティ

 先日20日に退官記念パーティを開いてもらった。英語科の先生方がサポートしてくれたのはもちろんだが、現4年目学生が中心になって卒業生を集めてくれた。家内まで招待してくれてすっかりお金を使わせてしまって恐縮だった。
 会は実に和やかでいい雰囲気だった。私も、久しぶりに会う卒業生に一人一人と話をする時間が足りなかったが、久しぶりに彼らと会うのは、とっても楽しかった。卒業して、地方の高校に勤めたのち、研究室にひょっこり姿をあらわし、もう一度留学したいと相談していった山岸君も来てくれて卒業生として挨拶してくれた。いよいよその初志を貫徹して留学できる方法をつかんだようだ。
 異色のメンバーは、私が国政交流・協力センター長と国際化担当副学長をしているせいで国際課の事務の野螻さん、本宮さん、能登さん、田口さん、村木さんが出席してくれた。今では、田口さん以外は部署を異にしているがサトチルの会を作ってくれて定期的に食事をしている。村木さんは私のゼミ生で、卒業後国際課で働いたことがある。後で紹介するが素晴らしいスピーチをしてくれた。
 優秀で、当時、ただ一人教育大から札幌市の中学英語に現役で勤めた田島さんも来てくれた。同級生の山本明日香さんも札幌市の英語の教員になり、ついでに旦那様も家も手に入れていた。この当時、ゼロ免課程の国際理解教育課程ができ、教員になってもならなくてもいい課程だった。今回、NY勤務で出席できなかった泉朋子さんもこの課程出身で、現4年生に歴代ゼミ生のアドレスを提供してくれたそうだ。国際理解課程の前は、英語科の卒業生で懐かしい人たちがたくさんいる。ゼミの時間に私が現れないので、泉さんに学食でだべっていたら「指導教官がいなかったらゼミはやらなくていいの?」と一括された小野君、新蔵さん、梅嶋さんも来てくれた。小野君は道銀でNYCに一年出向している。梅嶋さんは北洋銀行あいの里支店で頑張っている。新蔵さんは、留萌の加藤水産で世界を相手に商売している。
 吉田修平君と世界幸子さんにも会えてよかった。英語学の試験があまりよろしくないので私のゼミを希望するなんて思ってもいなかった二人だが、今回来ていなかった西山君を含めて3人がゼミ生になったときは衝撃的だった。ふたを開けてみれば、みんな優秀でよく勉強してくれたと思う。懐かしい思い出のたくさんある二人であるし、卒業以来会うのはこれが初めてだと思う。会えてよかったです。
 新妻君は、卒業後、青年海外協力隊に選ばれ、パラグアイで小学校の先生をしてきて、現在は加森観光に勤務している。彼の同級生の平井さんは、豊富牛乳で有名な豊富にある小学校で教鞭をとっている。金曜日にもかかわらず駆けつけてくれた感謝感謝である。同じく同級生の鹿野由依さんは恵庭で教師をしているが、驚いたことに妹さんが英語に入学して教えることになった。今年、卒業で就職も決まっているそうだ。実は、鹿野さんは私と同じ北広島市にいるが卒業以来会うのは初めてである。
 その次の年に卒業した3人組は漆田君、風間さん、伊東さんの3人だ。3人とも見事現役で札幌市内の中学校と小学校に就職した。漆田君はリーダー的存在で、今回も卒業生を代表して挨拶してくれた。井東里圭子さんは卒業生を出したというからかなり驚きつつも、やればできるんだと思っている。風間ゆり彩さんは、頭はいいんだけど、とにかくうるさい子であった。声もでかいし笑い声もでかい。あるときは、中庭を隔てた学生ホールから思いっきり聞こえてくる笑い声はゆり彩であった。その後何度か同じような体験をしたので、本人に家ではお前だけがうるさいのかと聞いたら、妹もお母さんもうるさいんだという。ファミレスに行ったらどうするんだと聞いたら、店の人に二度と来るなという顔をされるそうだ。でも、うるさいのは別として声の大きいのは教員では大切なことだ。きっといい先生をやっているんだと思う。
 池下竜二君も仕事が決まったそうだ。私も心から喜んでいる。余市で臨採をしていた谷君も本採用になり、今年の4月から晴れて一人前である。岡田君もみごと本採用になった。これで、佐藤ゼミの心配事はなくなった。
 沖田実菜さんも一番新しい卒業生で市内で教員をしている。きてくれてありがとう。今野さんや、堀川さん、立藏さん、柳谷君などゼミ生でない人まで来てくれて本当にありがとございました。
 パーティーには来られませんでしたが連絡をくれた卒業生もいます。私のゼミ生の中では、筆頭格だった櫻井靖子さん。旧姓泉さんはNYCに出向中で出席できませんでしたが、学生たちに先輩方の連絡先を教えてくれました。臨月で出られなかった水森さん。脇坂さんや西山君も元気にしているようです。
 皆さんこれからも頑張ってください。家内も心から感謝していました。
英語科の先生方や非常勤の先生方もお忙しい時間を割いて出席してくださって本当にありがとうございました。今後、もう少しお役に立てることがあれば幸いです。
 最後になりますが、私のゼミ生の村木さんの涙が出そうになった私への言葉を紹介して、中学校教師から、短大、教育大と巡り合ったすべての人に感謝を込めてお礼に代えさせていただきます。
 村木さんの当日のあいさつを引用しました。
 「ただいまご紹介にあずかりました村木と申します。
私は大学卒業後,本学の国際課で非常勤職員として勤務し,現在は正職員として岩見沢校にて勤務しておりますので,入学してから数えると,先生には10年以上お世話になっております。
本日出席が叶わなかった偉大な諸先輩方を差し置いて,僭越ではございますが,お祝いの言葉を申し上げます。
 佐藤先生,長きにわたり,本学での勤務,本当にお疲れさまでございました。
 先生との出会いは少し衝撃的なものでした。入学して間もない頃,実践英語の1回目の授業でした。
私たち,国際理解教育課程の1年生30人は,席について先生の到着をお待ちしておりました。ところが,5分経っても,10分経っても先生はいらっしゃらず,休講の掲示も出ていませんでした。まだ純真だった私たちは,そのまま先生を待ち続け90分の時間が過ぎてゆきました。次の週。2回目の授業。先生がいらっしゃいました。開口一番「悪い,先週日本にいなかった。」と仰いました。そのときから,私の中では,まだよくわからないけれど,何やら佐藤先生は海外に行かれたりしてお忙しい先生なのだ,という印象を持ちました。
その後も,私が卒業するまで,先生はいつも忙しくしておられ,卒論指導のアポイントを取るのも難しいほどでしたが,そのような状況でも,どうにかお時間をつくってご指導いただいたこと,本当にありがとうございました。
 さて,私が国際課で勤務していた当時,先生は国際交流・協力センターの国際交流部門長として,交換留学制度の全学化や,留学生のトラブル対応,環太平洋国際会議のことなど,多岐にわたり本学の国際交流に関して意志決定をされるお立場でしたので,気苦労も多かったこととお察しします。
私は国際課に勤務してはじめて,そのお役目の大変さを知り,非常に驚いたと同時に,先生があんなにお忙しかった理由がわかりました。
私をはじめ,多くの学生が留学という素晴らしい経験ができたのも,先生がこれまで大学の国際交流を支えてきてくださったおかげだと思っております。本当にありがとうございます。
もし私が国際課に戻れる日が来ましたら,先生がこれまでに築きあげてきた協定校との結びつきを大切にし,また,更に発展していけるよう,微力ながら力を尽くしたいと思っております。
 先生は,そのような大変なお立場ではありましたが,国際課の部屋にいらっしゃっては,冗談を仰って笑わせてくださったり,お菓子を差し入れてくださったりして,いつもその場を和ませてくださいました。
また,仕事を離れた食事の席でも,本学の国際交流のあり方について,いつも熱心に語っていらした姿は忘れることができません。
本日,歴代の国際課職員が参加しておりますが,これは先生のお人柄と,仕事に対する熱心な姿勢を慕ってのことと思います。
 このたび定年を迎えられましたことは,慶びにたえませんが,退職されることは本当に寂しく思います。人生の先輩としても,まだまだ学びたいことが沢山ありますので,今後とも変わらずご指導くださいますようお願い申し上げます。
最後になりましたが,佐藤先生の今後ますますのご健康とご活躍を祈念して、私からのお祝いの言葉とさせていただきます。
 長い間,本当にありがとうございました。」
2015年3月掲載
 
 
 
 

 

 

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