・アパート 〜その1

 2000年の8月から2001年の8月までの一年間、大学をお休みして、バンクーバーのSimon Fraser University(SFU)大学教育学部の客員教授となった。ただ、遊んでいるのももったいなかったので、大学院博士課程の学生になることを決め、SFU教育学部とUniversity of British Columbia(UBC)言語学部のPh.D.プログラムを受験して両方とも合格した。結果として、SFU教育学部のPh.D.プログラムに落ち着くことにした。その時に借りたアパートの話である。
 SFUは、バンクーバーにあると言っているが正式にはバーナビー市にある。グレイターバンクーバーという区分があってその中は十いくつかの市で構成されている。ちなみに、バンクーバー空港はリッチモンド市にある。SFUは山の上にある。寮に入れば本当は大学に通いやすいのだが、かつて30代の時にオハイオの田舎町にあるオハイオ大学でMAを取ったときの経験から、できるだけ便利のいい街中に住むことにした。海外にいるとどんなに充実した生活をしていても煮詰まってきてどうしようもなくなる時がある。 そんなとき、町を気楽に歩けるのは助けの一つになる。
 バンクーバーについたのは、2000年8月20日のことである。SFUの客員教授に呼んでくれた友人にアパートは頼んでおいたので、その日からアパートに入れるはずだった。ところが、友人が空港まで迎えに来て、アパートはまだ探していないという話だった。仕方がないのでホテルに泊まりながらアパートを探すことにした。バンクーバーのダウンタウンと言えばロブソンストリートだが、それではあまりにも芸がないので、バスで20分ほど離れたコマーシャルドライブというこじゃれた感じの通りに近い所にアパートを捜すことにした。  このコマーシャルドライブは、イタリア系移民の多い所で素敵なカフェやうまいピザ屋があったりする。通りをずうっと歩くとグローサリストアや古着屋やいろいろな店がひしめき合っていて退屈のしない通りである。しかし、ぼーっと歩いていると、ちょっとだけ危険な地区でもあったかもしれないというのが後からわかる。アパートは足で原始的な方法で探すことにした。8月20日は暑い日だった。4時間も捜し歩いたところで、いい加減へとへとになっていた。  そうこうしているうちに、「空室アリ」の貼り紙のあるアパートの前に来た。1階に窓を開け放した半裸と言ってもいいくらいカジュアルな格好の夫婦がでかい声で話しているのが聞こえてきた。その夫婦に「空室アリ」の貼り紙があるけど誰に聞けばいいのかと尋ねた。夫婦は、満面に笑みをたたえて「入れ」という。平日に仕事もしないで半裸で話している夫婦という存在があやしいと気がつくには、あまりにも疲れ過ぎていたので、言われるままに夫婦の部屋に入った。  部屋に通されて間もなく管理人を呼んできてくれて、管理人室に行った。部屋を見せてもらったら、部屋の中のペンキを塗り替えていた。とにかくこの部屋に決め、一週間後に入居できるといわれたので、それまでホテルにいて一週間後に引っ越してきた。
 場所は決して悪くはない。SFUまで行くのに5分も歩けばバス停につき135番のバスに乗れば40分弱で大学につく。2・3分でコマーシャルドライブなので散歩をして歩くのも楽しいところである。  7月8月9月はまさにゴールデンタイムでほとんどの日が晴れていて、日没も9時半ころで10時を過ぎてもまだ薄暗い程度だ。ただし、このあたりは店が9時まで開いているのは木・金だけで、土日は5時に閉まる。月火水は7時だ。まだ、明るいからといって9時過ぎに散歩をして歩けるほど平和なところではない。3階の私の部屋からは窓からちょっと首をのばせばバンクーバー市内が見渡せる。夜景なんぞはちょっとしたものだ。バンクーバー市内はホームレスの多いところだ。  コマーシャルドライブにもいる。1か月も住んでいるとコマーシャルドライブのホームレスの顔はほとんど覚えてしまうくらい固定している。ホームレスと呼ばれているだけで、この街に住みついている住人であることは間違いない。私の部屋の窓側は裏通りになっていて、大きなごみ箱が二つ置いてある。そこのごみ箱をあさりにホームレスが何人か来る。大体同じ時刻に同じ人が来るのでホームレスの中にも序列が決まっているのかもしれない。猫も来る。   (続く)


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