バレンタインディ

先日,大学構内を歩いていると,事務官のNさんから,HPが更新されてないよ,と催促があった。毎回読んでくれているということだ。 本当は,講義ノートを増やさなきゃと思いつつサボっている。政治のことも自分のことしか考えていない人たちにうんざりして書く気にもなれない。 たとえば,天下りの問題もやっぱりうやむやになった。だいぶ前になるが,前原大臣の答弁に「現在は現役出向をしているので, 退職金ももらっていないし,天下りではありません」とあった。驚愕である.天下りの根本のところは省庁との癒着の構造を言うのに, 現役出向なので天下りではないとのたまわった。これが,もしかしたら次期首相かといわれている人の見識である。

札幌も寒波まっただ中なので,時々,スーパーの中を通り抜けて電車に乗る。 瞬く間に,クリスマスバージョンが過ぎ,お正月仕様もなくなり,今はバレンタインデイのチョコレート売り場が花盛りだ。 このバレンタインディにチョコレート送るというのはいつから始まったのだろうか.日本チョコレート・ココア協会のHPによると, バレンタインデーは聖バレンタイン司祭の死を悼む宗教的行事だったということだ。 以下,同HPから引用しながら説明する。バレンタイン司祭は3世紀のローマの人だった。 一説によると,当時の皇帝クラウディウス2世は,強兵策の一つとして兵士たちの結婚を禁止していた。 これに反対したバレンタイン司祭は,皇帝の命に反し多くの兵士たちを結婚させた。 このため皇帝の怒りを買い,殺された。この殉教の日が西暦270年の2月14日で, バレンタイン司祭は聖バレンタインとして敬われるようになり,この日をローマカトリック教会では祭日としている。 はじめのころ,聖バレンタインデーは司祭の死を悼む宗教的行事だった。これが14世紀頃からは若い人たちが愛の告白をしたり, また,一説には2月が春の訪れとともに小鳥もさえずりをはじめる,愛の告白にふさわしい季節であることから, この日がプロポーズの贈り物をする日になったともいわれている。ちなみに,アメリカやカナダでは,男性から女性への贈り物の日になっている。 日本では,チョコレート会社に乗せられて女性から男性にチョコレートを贈る習慣になった。 どうも,1958年(昭和33年)2月メリーチョコレート会社(東京)は新宿・伊勢丹の売り場に「バレンタインセール」と手書きの看板を出したのが始まりらしいが定かでない。 3日間で売れたのは30円の板チョコ5枚と4円のカード5枚だけであった。 翌年ハート型チョコを作った。「女性から男性へ」という殺し文句を作ったのもその頃だったという。 私の記憶では,どうも東京オリンピックのころから始まりだしたように思う。

東京オリンピックといえば,私の中学3年生の時である。エチオピアのアベベがマラソンを裸足でトップを走り抜けたのを放課後の掃除をそっちのけで学校の中のテレビに食いついていたのを覚えている。 ジャック&ベテイ以外には,いわゆる外人と呼ばれる人に接した子のないような小さな町の中学生にはアベベの出現は強烈な異文化との触れ合いの第一歩であった。 だからバレンタインディは「女性から男性へ」チョコレートを贈る日だということを疑うなどという思考方法はなかった。 アメリカでは違う習慣だということを学んだのはその時から15年もたってのことである。日本全国があらゆる矛盾にふたをしながら夢に向かって走り続けていた時代である。 当時のバレンタインデイにも夢があった。 高校生のころなど,2月14日になったら誰かからチョコレートをもらえるのではないかとドキドキしていた。 一度,バレンタインデイにチョコレートが送られてきたが,兄の嫁からであった。がっかりした。 あんなに胸をときめかせたのに誰からもチョコレートは来なかった。 いつの頃からか,このバレンタインデイがつまらなくなった。 チョコレート会社に乗せられて義理チョコが出始めてきたからである。 義理チョコはあっという間に広がって,私が大学生のころには,すっかり当たり前の習慣になってしまっていた。 義理チョコは悪い習慣である。多感な時期の男の子が胸をときめかせる機会をすっかり奪ってしまった。 もちろん,くれる側の女の子からもである。うちの息子が小さい頃,一軒おいて隣の女の同級生に向かって「さやかー,今年はチョコレートくれるのかあー」とどなっていたことがある。 平和な光景ではあるが,もてる子にとってももてない子にとっても,私が,かつて抱いたトキメキなんて義理チョコのおかげで吹っ飛んでしまった。 とは言いながら,20年ほど前に勤めていた女子短大ではもらったチョコレートの山を嬉しそうな顔をしてかばんに入れて持って帰ったのを覚えている。人間なんて勝手なものだ。
  


 


2011/1/27

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