小学校外国語活動の必修化

2月12日・13日の日程で「第6回 小学校外国語活動実践交流会」が行われた。これは,北海道教育大学が行っているプロジェクトで, 5つあるキャンパスを拠点として小学校英語活動についてのサポートをしている。私が,本プロジェクトの委員長を務めているが早いものでもう6年にもなる。 毎年,全道から200名くらい集まるのだが,今年は連休中に設定したせいか150名にとどまった。わずか6年であるがこの会も興味関心の対象が大きく変わってきている。 6年前は,小学校外国語活動の是非で喧々諤々だった。4年前は,「今すぐ,授業に使える教材がほしい」というのが,先生方の要求だった。そうこうしているうちに,文科省が平成23年からの小学校外国語活動の必修化を決め,指導要領も出され,教材として英語ノート1・2が出された。 先生方の態度が大きく変わったのはこのころからである。「教材は,本屋でもネットでも手に入る。しかし,その裏付けとなる理論がほしい」という要望が強くなった。

今回の講演者である二人の先生方の講演内容がまさにこのことに応えている。 一人は,琉球大学の大城賢先生でもう一人は佐賀県教育センター宋先生である。両先生ともコミュニケーションとは何かというのが大きなテーマだったと思う。 小学校外国語活動の目標に「外国語の音声や基本的な表現に慣れ親しませながら,コミュニケーション能力の素地を養う」とある。
コミュニケーションとは何かということなのである。私は,お二人の講演を聞いて溜飲を下げた思いがした。今まで,このコミュニケーションという 言葉を何度聞いたことであろうか?コミュニケーションと言いながら,コミュニケーションとは関係のない外国語活動が実に多いのである。 「コミュニケーションとは話者の意図する意味が通じ合うということ」なのである。そして,二人の頭の中に相手が話す糸を受け取るだけの素地がなければならない。 この素地がなければ相手には通じない。聞き手にない素地を作ってやるのは,話し手と聞き手の共同作業である。 ここにもコミュニケーションが生まれるのである。そういう意味では,言葉は伝達の手段ではない。ことが伝達の手段なら,話し手が話した内容はすべて聞き手に 通じないとおかしなことになる。聞き手に相手の話を理解する素地がない場合は通じない。その場合は,その素地つくりから始まるのである。 そうした営みの中で,お互いに誤解や行き違いが生まれる。大城先生は,「I like bananas」という表現を練習している最中に子供達は, 「I bananas. I apples.」とやりはじめたという。つまり,これで通じている。すなわちコミュニケーションがとれているということだ。
実は,前にこのHPに書いたと思うが,Hallidayという言語学者が関連性理論の中で「人は関係のないこと以外は話さない」と言っている。下の会話を見てみよう。

子供 お母さん遊びに行っていい?
母  宿題終わったの?

この会話でお母さんが言わんとしていることは,我々は一瞬にして理解できるし,それを聞いている子供も理解できる。 ところが,子供と母との会話は決して噛み合っていない。少なくとも英会話の教科書にはこのような噛み合わないやり取りは出てこないはずだ。 しかし,それにもかかわらず,この会話はきわめて日常的であり,我々は理解ができる。どうして理解できるかというと「人は関係のないこと以外は話さない」ということを,我々はみんな知っているからである。 すなわち,「コミュニケーションとは話者の意図する意味が通じ合うということ」なのである。コーヒーブレイクにふさわしくない話かもしれないが, 北海道教育大学外国語活動実践交流会の内容が望ましい方向に向かいつつあることに喜びを感じて書いてしまった。

  


 


2011/2/16

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