九州までキャンピングカーで出かけてきた その1

九州までキャンピングカーで出かけてきた。小樽から舞鶴港まで行き、そこから山陽自動車道を通って福岡に入った。10年くらい前は、よくキャンプに言ったのだが、最近は、キャンピングカーで温泉めぐりや観光をして歩くことが主流になってしまった。バッテリーがなくなりそうになると電源付きのキャンプ場に泊って一晩充電しては、また、旅を続けるという具合だ。 画像1
キャンピングカーで旅行をして歩いて一番困ることは駐車場がないことだ。うちのキャンピングカーはそんなに大きくないので通常の駐車場にギリギリおさまるのだが、高さが3,5メートルもあるので、駐車できるところがなかなか見つからない。そういう場合の第一候補は飛行場の駐車場である。第二候補は大型スーパーである。両方とも街の中心部とのアクセスも良く便利である。福岡でも空港の駐車場に止めることにした。福岡空港はもともと街の中心部にあり、地下鉄が通っている。2つ乗ればもう福岡のJRの駅に着く。福岡に着いたのはもう3時くらいだったので、観光といってもたいしたことはできなかった。そこで、福岡を見渡せるタワーにのぼって福岡市の学習をし、もつなべ屋に行った。

2日目は天満宮に行き、菅原道真について勉強した。その裏に位置する九州博物館で勉強をする。菅原道真については、ちょっと誤解していたところもあったが、博物館で菅原道真について学び、随分と偉い人だと知って、天満宮に入りなおしてお札を買った。自分でも節操のなさにあきれてしまった。天満宮のすごいことは、連休期間は7時半から開けているということだった。博物館にしても同じだ。もちろん、観光客を狙っての話しだが、客の出入りに応じて臨機応変に開館時間を早めることができるのがすごい。年がら年中、役所のように客が外で待っていても開けようともしない観光地とは姿勢が違う。ちょっと感動した。

画像1 3日目と4日目は、長崎だ。長崎では、ハウステンボスの簡易キャンプ場に宿泊。翌日、ハウステンボスは、お花がとてもきれいだった。中にあるレストランはとてもおいしかった。ハウステンボスから有田焼の陶器市が開催されているところまでバスで行ってきた。市で有田焼をいくつか買ったが、高いものと比べると見劣りしていた食器類が家に帰って見てみると、嬉しくなるくらい素晴らしいもので、もう少し買ってくるんだったと悔やまれた。
長崎では、じゃらんに載っている有名な中華料理屋で長崎ちゃんぽんを食べ、福砂屋の本店に行ってカステラを買ってきた。竜馬で有名な亀山社中跡にも行ってきた。亀山社中は日本で初めての株式会社で社員に給料を払っていた。 そのあと、蝶々夫人の舞台となった長崎のグラバー園にも行った。そこには三浦環の像とプッチーニの像が並んで立っていた。三浦環は、日本がまだ貧しかった時代に海外へ渡り、世界的名声を勝ち得た偉人の一人だ。1915年に、ロンドンのオペラハウスに三浦環が日本人として初めてプリマドンナとして出演、プッチーニの「蝶々夫人」を歌った。彼女はこれをきっかけにヨーロッパとアメリカを中心に2000回以上も「蝶々夫人」を演じている。 1920年には作曲者のプッチーニ(1858-1924)と対面、プッチーニから「わが夢」と称賛されたそうだ。また、アメリカではメトロポリタン歌劇場でエンリコ・カルーソーと共演したこともある。この劇場にプリマとして立った日本人は彼女が初めてだということだ。

長崎を後にして、熊本に向かった。熊本では日本3名城の一つである熊本城を見学。熊本城は、天正16年(1588)、肥後半国の領主として熊本に本拠を置いた加藤清正によって築かれた城である。なかでも「武者返し」と呼ばれる美しい曲線を描く石垣は有名だ。また自然の地形を巧みに利用した独特の築城技術がみられる。 画像1
画像1 この城は以後、加藤家2代(44年)の後、首相を出した細川家11代(239年)の居城となった。明治10年(1877)の西南の役に際しては、薩軍を相手に50日余も籠城し、難攻不落の城として真価を発揮したのだが、薩軍総攻撃の2日前、原因不 明の出火により天守閣など主要な建物を焼失。現在の天守閣は昭和35年(1960)、熊本市によって再建されたものだそうだ。(つづく)


  


 


2011/5/20

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