間違いだらけの○○○外国語活動 その1


 ちまたでは、「なでしこJapan」の快挙に喜んでいる。今回、はっきりしたことは、劣悪な待遇で頑張ってきたということだ。彼女たちの劣悪な待遇を聞くにつけ、とんでもない話だと思う。マスコミもやっと人生すべてをかけたアスリート達には、お金が必要なんだという当たり前のことが取り上げられ始めたのは喜ばしいことだ。しかし、世の中では、時々、当たり前のことが受け入れられないことがある。とんでもないことが、まことしやかに大手を振って常識になることがある。日本の外国語教育もその一つかもしれない。

 小学校で平成23年度から外国語活動として、英語の授業が必修になった。これを受けて親は必死になることを一つ増やしたことになる。その親を見て金もうけをたくらんでいる人間が一挙に増えた。昔から、自分の母国語である国語には一言も発しない人でも英語になると急に評論をし始める人がいる。不思議なことだ。若手人気ナンバーワンのゴルフの選手も英語教材のCMに顔を出している。そんなわけはないと思いつつ、彼の影響力には到底及ばないと思って一言もコメントしたことがない。時々、そっと、そんなに効果があるなら、外国人記者クラブで通訳をつけないで話してみたら、と呟いてみる。

 そもそもの間違いは、指導時間数が少なすぎる事だが、そんな言ってもしょうがないことはこのさい割愛する。しかし、すべての間違いはこれに尽きると言ってもよいことだけ最初に言っておく。かつて、中学校英語の時間数が5時間から4時間に、そして、3時間に減らされた。学校行事を加味すれば、英語の平均授業数は、週2.5時間となった。こんな中でどんな効果的な指導法を適用しようとしても効果があるはずもない。そして、今、中学校の英語教育とは、性格を異にする、小学校外国語活動が必修になった。ほんとは、これから書こうとしていることよりも、授業時数や指導者の問題が大きいのだが、そんな今言っても見てもはじまらないことは無視して、次の段階から考えて行く。

 間違いの始まりは、何をどのような順に教えるかということが誰からも提示されないままでこれまで来ていることだ。文科省から出された英語ノートがあるが、どうしてこの教材がこういう順番でという指示は一つもない。もちろん、そういう性格の教科書代わりのものではないからだ。中学校の教科書は文法シラバスで構成されているから、語数の少なく文法事項が一つのものが基礎教材として選択されている。平成23年度の4月から始まった小学校英語活動はどうであろうか。「コミュニケーション活動を中心に」ということがキーワードになっている。それでは何を最初に教えるべきなのであろうか。確かに、小学校外国語活動は、英語教育ではないから何をどのように教えられるかは議論の対象にはならない。しかし、それにしても当然それでも基礎教材という考え方はあるべきではないのか。

 第一の間違いは、名詞を中心に教えることだ。色や果物の名前を紙に書いて子供たちに斉唱させる。当然のことながら、子どもたちは喜んでやる。親も子供もそれで英語活動をしていると思い込むことになる。さらに悪いことには、教師や学校までもが英語活動をしていると思い込む。少なくとも教師はそう思い込まなけりゃ教壇に立つことはできないだろう。確かに、みんなできゃあきゃあ楽しくやっているのだからその意味ではコミュニケーション活動は成り立っている。でも、英語はできるようにはならない。小学校の英語活動と中学校の英語教育は確かに目指すところは違う。しかし、英語という語感を育てていくという意味では両者とも共通の目的があるはずである。だいたい、生まれた赤ん坊に親や周りの者が名詞を使うはずがない。母乳しか飲まない子にリンゴやバナナを見せて「何が好き」とは聞かないだろう。フラッシュカードにリンゴやバナナの絵を書いたのを見せて子供たちに斉唱させるという作業は無駄である。無駄であるとか間違っているといのは、いずれは教えないとならないだろうがはじめにする仕事ではない。
 数を教えることは必要なことである。色を教えることも必要なことである。しかし、果物の名前を教えることがどれほどの英語の勉強になるかということなのである。動物を英語で言うことは子供にとって興味がある事である。だからと言って、それを教えてどうなるのだ。世の中には無数のモノの名前がついたもの、つまり、名詞がある。最近は電話帳は使わないが、世の中に職業がいくつかあるか職業用の電話帳を見てみればわかる。膨大な数である。英語の学習が進んで最終的に電話帳にある職業が全部英語で言えるようになるということを悪いと言っているのではない。何をはじめに教えなければならないかということだ。(続く)



  


 


2011/8/1

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