間違いだらけの○○○外国語活動 その2


それでは、何を最初に教えるべきなのだろうか。
それは,学習者を中心としたカリキュラムを作ることである.
文字通り学習者を中心にした教材を作成する.つまり,「私=I」を中心にした教材を選ぶことである.このことは,後から詳しく述べよう.

まず,冒頭に言った「間違いの始まりは名詞を教えることだ」から話していく. その第一の理由は,限られた時間の中で,英語の初心者に何の脈絡もなく余計な名詞を教えても時間の無駄になるからである.何の脈絡もなく名詞を教えることぐらい時間の浪費はない.外国語を学習する人たちには子供も含めて時間を費やすほど豊富な時間が与えられていはいない.何の脈絡もなく果物の絵を見せられてその名前を一生懸命英語で覚えても,それは英語の勉強でも何でもない.2・3歳の子供が絵本の中の果物を見て喜ぶのは,実際の生活の中で,その果物を見たり食べたりするから,絵を見ても「あ,リンゴだ」とか「あ,スイカだ」とかいう話になるのである.名詞を教えるなら,その学習者を取り巻く世界の中に出てくるものを学習対象にするべきである.家の中で犬と猫を飼っていたら,はじめは動物の名前は犬と猫だけである.つまり,数字を教えるなら,いくつまで必要なのかということである.果物の名前を教えるなら,日常の生活の中に出てくる果物である.つまり,こんな基準も考えないでやみくもに先生と生徒が果物や動物の名前を言い合っているのは無意味な活動だということなのだ.

第二の理由は,「言葉は,動詞を中心にして出来上がっている」からである.さらに言うなら動詞の意味が大切になってくる.動詞には選択制限という約束がある.それは,それぞれの動詞には,動詞の前(主語)と後ろ(目的語)にくる名詞が制限されてしまう約束である.例えば,
The girl ate the banana.とは言えるが,
The banana ate the girl.とは言えないというのは誰でもわかるであろう.

つまり,eatには主語になる名詞と目的語になる名詞の種類はおのずから限られてくるということである. こうなると動詞の意味が大切だということが分かるであろう.

@数字を教えることは必要なことだが,数字だけ教える授業では意味がない.
A色を教えることは必要なことだが,色だけを教える授業では意味がない.
B果物を教えることは必要なことだが,果物の名前はどんな場面で教えるのか.
C国の名前や国旗を教えると国際理解教育になると信じているがそうなのか.
D仕事を英語で教えているが,仕事がいくつあるのかを知っているのか.

などなど,挙げていったらきりがない.つまり,下のような結論に達する.

結論1:名詞の数はきりがないが,動詞の数には限りがある.
結論2:動詞の数には限りがあるから,人はことばを学ぶことができる.

それでは、何を最初に教えるべきなのだろうかという疑問に戻る.こんどこそ,ほんとに,次回では,「私=I」を中心にした教材の話しをしていく.(つづく)



  


 


2011/8/15

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