「母が逝く」
 2月18日に母が逝った.
親戚だけに集まってもらう家族葬で済ませたのだが,結構忙しい目にあった.仏壇も買って,4月6日には49日も済ませた.あとは,墓の雪が融けたら納骨に行ってくる.墓は余市にあって,父と私が生まれる前に亡くなった姉が入っている.墓は,小高い丘の頂上近くにあり,余市町全体が見渡せるところに位置している.すぐ上には,ニッカウヰスキーの創業者竹鶴氏の奥さんリタさんが眠っている墓がある.余市のニッカウヰスキーがすべてくまなく見渡せるところである.
しかし,ここには車道がついているわけではないので,景色がいいということは,下からそこまで水やらお花やらを持って登って行かなければならないことを意味していた.
 葬式も49日も集まった人は,私のいとこばかりである.それ以外の人は,気を使って違う日にお参りに来てくれたので,ことさら家族葬などと告げたばかりに,親類以外の母と縁の深かった人たちには迷惑をかけたかもしれない.
私は,もともと家内と二人きりで母を送ろうと考えていたが,一応連絡だけはとしてみたら,いとこがみんな集まってくれた.父方と母方を合わせて11人集まった.葬儀屋は,私の家が10畳―10畳―8畳とつながっているのを見て,ここでやったらどうですかというので,それに従った.葬儀屋が,庭の雪と玄関前の道路の雪を全部取り除いてくれたので,雪の多い冬の真っただ中であったが,駐車もできたし,棺を簡単に出入りさせることができた.母は,99歳だったので大往生というべきなのかもしれない.
しかし,ここ数年は,寝たっきりになってしまっていたので,大往生というものに定義があったら,もしかしたら,そうでないかもしれない.私に言えることは,99歳になるまで母は死ぬ様子さえ見せていなかったということだろうか.母は,94歳まで小田原にいた.父が亡くなってから,そこで一人暮らしをしていたが,友人も多く忙しい人だった.同じく一人暮らしの兄が東京から一日おきに母のところに通ってきていた.一緒に住めばいいのにと思っていたが,そんな気持ちもなかったらしい.

  


 


2012/6/15

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