・4人の仲間 〜その2 4人組誕生〜

 そうこうしているうちにやっと冬学期が始まった。言語学部のMAコースは17人くらいしか同級生がいなくてこじんまりした学科だったが、私はジョージ以外に親しい友人ができていなかった。 物おじして友達を作れなかったわけではなく、授業の予習に忙しくて友達を作る余裕すらなかったのである。授業の進み方が早かった。一回の授業で教科書を100ページくらい進んでいくこともある。 その授業が週5日続く。授業は学期に3科目取れたら最高のできであった。週末は図書館にびっしりいて次の週の予習に集中しならなければ授業について行かれない状態が続いていた。 そうやって秋学期を過ごしたので友達を作る暇なんかなかったである。しかし、冬学期にいきなり私が脚光を浴びることになった。それはDr. Marmoによる統語論I授業が冬学期に始まったためである。 その当時は全米の言語学会を席巻していたチョムスキーによる文法理論だ。私には、何ら難しい理論でもなかったが、アメリカ人学生にとっては大変だったのだ。 私が大変でなかったのは、それが新しい理論とはいえ文法を根底にした授業だったからである。日本人が国文法が苦手なのと同様に、アメリカ人学生にとっては英語の文法は苦手だったのである。 たとえ言語学部で言葉を専門に研究する学生にとっても、そのことは変わらなかった。ここでは、統語論がどんなものかの説明は避けるが、これには「頭の中にある構造から我々の前に現れてくる構造にまで変形させていく作業」があった。 学生たちは、その変形の作業を時々黒板の前でやらされた。私はすらすらとやって見せる。マーモはチョムスキーの弟子を自負していたが、時々間違えて私がその間違いを指摘する。 そんなことを何度か繰り返しているうちに、クラスの私へむけられる目が違ってきていた。先生からの質問に誰も答えられない時には、私かクラスメイトのリンダが指名されることが多くなった。 そんなことでクラスメイトと親しく話をするようにはなった。休み時間に声をかけられて、教えてくれるように請われることもしばしばだった。しかし、放課後は相変わらず予習に追われていたので、クラスが終わるとすぐに図書館に向かった。 途中、夕食を食べにアパートに帰ったが、そのあと、また図書館に来て勉強した。図書館は夜中の12時まで開いていたし、図書館が終わってからアパートまで歩いて帰っても危険な街ではなかった。

 そうしているうちに、冬学期が終わり、春学期に入った。島津さんは違う大学にトランスファーし、山口さんは家族と一緒に住むというのでアパートを変わった。私は一人部屋のアパートを借りた。 アメリカに来ての初めての一人部屋で実に気楽だった。春学期に入ってばかりの土曜日のことである。ドアを激しくノックする音がした。何事かと思い、ドアについている円いスコープから外をのぞくとリンダがそこに立っていた。 よく私のアパートを知っていたものである。学生の社会は所詮狭く、あらゆるうわさが瞬く間に広まる世界でもあった。何だろうと思ってドアを開けた。リンダは部屋に入ってくるなりいきなりまくしたてた。 リンダはそれでなくても早口だった。「なんでこんな土曜日のお天気のいい日に部屋に閉じこもっているの。さあ、パーティがあるから行くよ!」。私は行かないと答えた。 私は酒はもともと飲まないからそういう場所に行くのがそんなに興味がなかったし、これから図書館で勉強しなければならなかったのである。しかし、リンダは引き下がらなかった。 私が行かないと答えたのに、それでもしつこくリンダは誘ってくる。後からわかったことだが、パーティに来ないのは言語学部では私一人なので、他のクラスメイトがリンダを代表によこしただけで、リンダが私に気があったわけではなかった。 私はリンダの勢いに押されてパーティに行くことにした。これをきっかけにして私の留学生生活は一変することになるのである。パーティには、おなじみのジョージのほかに言語学部のクラスメイトが全員来ていた。 いつも一緒にいる南米5人組、ベトナム戦争帰りの牧師さん、シリアからきているマハディ、パレスチナからきたルフティ、もう一人アルジェリアから来ていたイケメンがいたが名前は忘れた。 中国人学生が3人。それにポール、ブルース、フィリップ、ナンシーがいた。それぞれが知り合いを連れてきているから、にぎやかなパーティだった。このパーティでブルースやフィリップと仲良くなった。 パーティは楽しかった。次の日、私のアパートにリンダとフィリップとブルースを夕食に招待することにした。私はカレーライスを作った。牛肉が安かったので、玉ねぎと牛肉を一日中煮込んで塩と胡椒で味付けをして作りおきをしておいた。 そうすると、後からオニオンスープも作れるし、シチューにもできるしカレーにもできて便利だった。リンダとブルースとフィリップがやってきて私のカレーライスを楽しみながら、夜遅くまで語らった。 授業の話をしている最中にいつの間にか、共同で勉強をしようということになった。授業の予習を4分の1ずつ分担して、お互いに自分の分担したところを残りの3人に説明するという方式を取ることにした。 そうすれば予習が4分の1で済むし、わからないところはお互いに話し合えばよい。私にジョージの他にアメリカ人の本当の友人ができた瞬間だった。アメリカ人学生は極めてざっくばらんでフレンドリーだがそれはその場限りのことで、お互いにgive & takeの関係にならなければお互いを友人とは認めあわない習性がある。 裏返せば、留学生だからといってアメリカ人学生にぶら下がるような関係だと友人として長続きしないということだ。その意味では、最初の一学期のジョージには、わたしはぶら下がりっぱなしであったのに、根気強く私を友人にしておいてくれたものだ。

 4人の友人関係が始まった。お互いに住んでいるところが違うので共同で勉強をする場所が必要だった。声を出すので図書館というわけにもいかなかったし、夕食もとらなければならなかったから、自然に食事を一緒にしようということになった。 月曜日は私のアパートで私が4人分の食事を作り、そのあと次の講義の予習を全員でやった。予習個所は4分の1ずつに分担して夕食までにそれぞれが責任を持って済ませておくことになった。 火曜日の夕食当番はリンダ。水曜日はフィリップ。木曜日はブルースになった。金曜日はパーティを探して出ることにした。学生のコミュニティなので必ずどこかでパーティが開かれていて、友達の友達の友達でも飲み物を持っていくことで参加が許された。 パーティを探してくることにかけてはフィリップが卓抜した才能を見せた。なぜか知らないが、フィリップは非常に友達関係が広く言語学以外の学生にも友人がたくさんいたのだ。 これで、月・火・水・木・金の夕食は保障され予習も楽になった。フィリップとブルースには英文法の初歩から教えてあげて感謝されっぱなしだった。当然のことながら、私は何度読んでもわからないところをかみ砕いて教えてもらったので実に助かったし、リンダにはペーパーの英語の間違いを直してもらっていた。 一度どうしても理解できないレポートの課題があった時など、リンダは私のペーパーを読み「サトウ、先生はこういうことを要求してはいない」と言うやいなや、私のペーパーを書き直してしてくれて助かったことがある。 土曜日は何かイベントがあれば一緒に過すが基本的に自分のためだけの時間である。先学期までの生活と違い私の生活は一変した。何よりも、金曜日の夜でも誰もいない図書館で予習をしていた生活がまるでうそのように春学期の金曜日はパーティを探してはそこでお腹を満たしていた。 日曜日は次の一週間のためにひたすら休憩である。贅沢な話だが、一人で寂しかった頃とは逆に、日曜日にたまに一人でいるのが心地よかった。
(つづく)


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