・4人の仲間 〜その3 奨学金事件〜

 ブルースはジョージと家を借りて住んでいた。大きな墓地のそばであったが、そのせいで家賃が安いし敷地も広いからいいのだという。 フィリップとリンダとポールが3人で家を借りて住んでいた。リンダ・ブルース・フィリップ・私の4人でつるんで行動する生活が卒業まで続いたが、もちろん、ジョージやポールとも仲が良かった。 私だけがアパートの一人暮らしのせいかみんな気楽に入れ替わり立ち替わり私のところに立ち寄った。 私は自分が酒を一切飲まないのに、冷蔵庫にはいつもビールをびっしりにしておいた。 安いビールばかりであったが、友達には人気が高く、ひどい時には、何の用事もないのにビールだけをクーっと飲んで帰っていくこともあった。 ジョージは学科が違っていたから、もう一緒に勉強することもなくなったが、時々、私のところに遊びに来ていた。 ポールはなかなか毛色が変わった生き方をしてきた人でヒッピーの恰好でアメリカ中を旅行して歩いた経験がある。 その頃のスチール写真が部屋に飾ってあった。彼には、アスンズの周辺に住んでいるよくわからないグループに友人もいた。 彼はヤマハのバイクに乗っていて、よく私を後ろに乗せてくれた。夜は、路上でベーグルを売るバイトをしていた。 結局、ポールは、卒業後もアスンズに住み着き、言語学とは関係のないベーグル会社を設立し、大成功しているという話だ。 一度アスンズに行って会ってみたい。リンダはThanksgiving Dayにニューヨークの実家に連れて行ってくれた。 リンダの3代前の出身はイタリアのシチリア島だというから3代前まではマフィアかもしれなかった。彼女はそのことははっきり語らない。 Thanksgiving Dayにはリンダの家には親戚中がそれぞれの家に伝わる自慢のホームケーキを持って集まり、色とりどりのケーキやご馳走がテーブルの上に並べられた。 それは見事なものであった。ところが、その時私は原因不明の頭痛に襲われて寝込んでしまい、そのケーキのほんの一部しか食べられないで終ってしまった。 こんな残念なことはなかった。リンダの家には1週間以上いて、ニューヨーク市内を連れて歩いてもらった。 この当時(1983年)のニューヨークの地下鉄は極めて危険であったがリンダは平気で乗せてくれた。 車内中が落書きだらけで、ここまでくれば芸術に近いと思った。

 話は戻るが、4人組で行動していた春学期も終わりに近づき、私は、もう一年の休職をすでに札幌市教委から許可されていた。 それはいいのだが、ロータリー財団からの奨学金が8月で切れる。大学の奨学金は、一年間の成績の平均点(GPA)が3.5ポイント以上でもらえる権利が生じる。 私は、平均がAマイナスだったので資格は十分であった。そこで、学科主任のDr. Codyにアポイントメントをとり奨学金を頼みに行った。 Dr. Codyは、日本人嫌いで有名で、陰で人種差別主義者の異名を取っていた。Dr. Codyはなんだかんだ言って奨学金の支給を認めようとはしなかった。 しかし、これは学則に明記されている学生の権利であったので私は粘った。それでもDr. Codyはしかめ面をして首を縦には振らなかった。 私は学則で決まっていることを学科主任が拒否できるとは夢にも思っていなかったので、かなりのショックを受けて彼の部屋を出た。 奨学金がもらえないということは帰国を意味している。MAを取らないで帰国とは私の中では耐えられないことであった。 院生の控室に行ったがブルースもリンダもフィリップもいなかった。誰がそこにいたかは覚えていないが、奨学金を断られたことを同級生に教えた。 それ以外は何を話したのかも覚えていない。私はアパートに帰って帰国のことを考え始めた。 お金に関してはたとえ友人同士でも相談するなんてことは考えられないことだったし、そんな相談をして相手に精神的負担をかけることも嫌だったので4人組には話したくなかった。 ベッドに横になっていたら知らない間に眠ってしまった。2時間くらいも寝ただろうか。アパートのドアがたたかれる音で目が覚めた。 リンダだった。リンダはニューヨーク生まれのニューヨーク育ちのせいか、話をするときは、まくしたてるように早かった。 「サトウ、どうしたの?話して。」といきなり話し始めた。私は話したところでどうにもならないよと答えた。 リンダは「いいから事情を説明して。言語学部の控室ではあなたのことで大騒ぎよ」と言われたのでびっくりした。 Dr. Codyに奨学金を申し込んで断られたことをかいつまんで話した。リンダは「わかった」と言って帰って行った。

 翌日、朝の10時頃に言語学部から電話が来た。言語学部の秘書からで、Dr. Codyが会いたいからすぐ来るようにとのことだった。 Dr. Codyの部屋に入ると、彼は昨日とはうって変わって満面に笑みをたたえて語りかけてきた。 「昨日は少し誤解があったようだ。あれから少し調べてみたんだが、まだ奨学金を出せる余裕があることがわかった。 来学期から奨学金を出そう。」という話だ。釈然としない気持ちだったが私は礼を言って彼の部屋を出た。 その部屋の秘書が親指を立ててウインクをして私を祝福した。控え室に寄ったら同級生が数人いたので、奨学金が出る事になったことを告げてみんなと握手をしてアパートに帰った。 アパートにかえるやいなやリンダに電話をした。リンダは電話で「サトウ、私たちに借りができたよ」と言って昨日私の部屋を出てから今日に至るまでの一部始終を話してくれた。 今回はフィリップが大活躍をしたという。まず、フィリップとリンダとブルースでDr. Codyのところに出かけて行って、なぜ佐藤の奨学金が出せないのかを問い詰めたという。 フィリップの最後のきめ台詞は「今回のことを学生組合に通告して問題にしてもらう」と言った。その瞬間にコーディの態度が変ったそうだ。 そのあとで、彼らはすぐDr. Marmoのところに行って、今回のことを話した。これもフィリップのアイディアだそうだ。 Dr. Marmoは私の指導教官でもあり、フィリップの言い分では「マーモはサトウのことをかわいがっているから絶対に力になってくれる」と発案したそうだ。 確かに自分でもわかるくらい、いや誰しもがわかるくらいマーモは私のことをかわいがってくれていた。 マーモは私が活躍した例の統語論の授業の先生であり、2年生になったら私の指導教官になっていた。 そう言われて、私はなぜマーモに相談することに気がつかないで帰国しようと思ったのだろうかと思った。 その結果、マーモもコーディのところに言って私に奨学金を出すように掛け合ってくれたそうだ。 わずか24時間ですべてのことがくつがえった。私は、今でもこの友人たちの助けには感謝している。 この助けがなかったら学位なしで帰国していたところだった。そうなれば何のために家族に迷惑をかけて留学をしていたのかが分からなくなってしまう。
(つづく)


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