・英語学概論Iと英語学概論IIの方向 (1)

英語学概論Iでは、生成文法の基本的知識を英語学概論IIでは認知文法と語用論の基本的知識を学習する。この両概論の最終目標は語用論の基本的素地を作るためなので、概論Iの生成文法はあくまでもその対比的説明のためである。

1.1 語用論では何ができるのか
 人は挨拶を相手によってする場合としない場合があります。その関係を簡単に次の対比表で見てみよう。

挨拶/人間関係 家族間 友人間 知合い 見知らぬ人
おはよう ○(「ございます」をつけて) ×
こんにちは × × ×
こんばんは × × ×

(Sato. Y. (1988). Observation of Japanese language behavior from the USA. The journal of Seishu College, 19, pp. 69-74.から)

これは、18歳〜26歳の学生を対象に調べたものだが、20年前のデータでも今も変りはない。上の表から、家族間では「おはよう」とは言うが「こんにちは」とは言わないということがわかる。ところが、これが50歳以降になると次のような表になる。


挨拶/人間関係 家族間 友人間 知合い 見知らぬ人
おはよう ○(「ございます」をつけて) ×
こんにちは × ×
こんばんは × × ×

友人間でも「こんにちは」という挨拶を交わす。どうしてだろうか。これは、人と人との「結束感(solidarity)」の違いから来る現象であると考えられます。 学生時代の友人間の結束性はかなり強いものがあるが、50歳代になるとその関係は異なったものであるということだ。自分に置き換えてみると、大学の中では、かなり頻繁に会う同僚同士でも「こんにちは」といいます。 これは、「結束感(solidarity)」が50歳代の友人間のそれに近いからであろう。

 このように、実際の人と人との関係で表現方法が異なるのを研究する分野は「社会言語学」という分野です。ところが、明らかに仲のいい友達であるのに「こんにちは」と使った場合に、この「こんにちは」が何を意味しているのかを研究するのは語用論の分野です。 普通なら使うはずのない親しい友人の昭夫が昌男に「こんにちは」と言ったら、昭夫は昌男に何かのことについて悪感情を抱いていてそれを昭夫は昌男に「こんにちは」と使うことで知らせている場合がその可能性の一つとして考えられます。 このような「こんにちは」という挨拶の意味のほかに含まれている意味を「含意」といいます。これに対して、文字通りの辞書的な意味を「表意」と名づけておきます。私たちに伝わる言葉の意味とはこの「表意」と「含意」が合わさって伝わっています。これを説明する例をもう一つ見てみましょう。

ひろし君:お母さん遊びに行っていい?
お母さん:宿題はないの?

上は、ひろし君が学校から帰って来た時のお母さんとの会話です。私達は瞬間的にこの会話の意味を理解できます。お母さんは、宿題はないのかという疑問文を発しているわけではなく、「宿題があるのなら、宿題が終わってからなら遊びに行っていいよ」と言っているだということは誰にでも瞬時にして理解できる。 ひろし君に対してでも同じである。ところがこれは、コンピューターには解釈されない。これからもわかるように含意といっても小説を読むときのような行間を読むような高級な作業ではなく、私達は日常的に朝から晩までやっていることです。 この説明をグライスは人間社会では当然のことながら意味のないことは話すはずがないという暗黙の了解とも言える「協調の原理」が働いているからだと説明しています。

語用論の有名な例をもう一つ考えて見ましょう。

It is hot in here.

これは、リーチが説明した有名な文ですが、「ここは暑い」という表意が私用される場面と人間関係で変ってくるという例です。たとえば、非常に組織がきちんとしている大会社の社長室で社長が秘書に向けてこう言ったとすると、決して「今日は暑いねえ、君」という世間話はするはずがありません。 社長がこういえば、秘書は「エアコンを少し下げます」と答えることでしょう。

以上の例のように、社会言語学で取り扱った人と言葉と社会の中で生きる言葉を「どのようにして意味が生じて伝わっているのか」を研究する学問分野です。


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